2003年 06月 01日
「逆立ちして観る、ラブ・コメ」: "Zanna Don't!"
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かなり前の話ですが、心理学者だったか行動学者がこんな実験を自らを実験台にして行ったことがありました。世の中が上下あべこべに見えるような眼鏡を作り、それを24時間かけ続け、果たして人間はそんな世界に適応できるのか試したのです。結果は最初は四苦八苦したものの、思いがけずすぐに慣れ、眼鏡をはずした直後は逆にもとの世界に戻るのに苦労したそうです。普段正常だと思ってみている世界を突如上下逆さまに見せられたとしても、私たちはそれを戸惑いつつも受け入れてしまうのでしょうね。そんなわけで、ひとつそれを私たちも実践してみることにしましょう。普段から慣れ親しんでいる“Romantic Comedy”(日本語ならラブ・コメディーでしょうか)を逆立ちしてみたらどんな風に見えるでしょうか。といっても別に物理的に逆立ちするわけではなく(第一私は逆立ちができません)、ラブ・コメディーの設定をすべてあべこべに変えてみるのです。想像だけで行うのは難しそうだから、ここはひとつそれをやってくれるショウを観にいくことにしましょう。John Houseman Theaterで続演中の“Zanna, Don’t: A Musical Fairy Tale”は、そんな反転した恋愛の世界を見せてくれます。
お話の舞台となるのは、Heartsvilleという架空の町。そこに住む高校生にして魔法使いのZanna(私の見た回は代役のGregory Treco、レギュラーはJai Rodriguez)の日常はその魔法を使って町中を愛で満たすことにあります。彼のおかげで町の人たちは常に恋人に欠くことはありません。ただほんの少しだけ違うのは、彼が取り持つ恋愛がすべて同性愛であること。(ほんの少しか?)かくして町中は同性愛に満ち満ちています。彼の魔法で、フットボールのスターSteve(Jared Zeus)はチェスのチャンピオンMike(Enrico Rodoriguez)と、癇癪持ちのRoberta(Anika Larsen)はロデオ・チームのエースKate(Shelley Thomas)と結ばれます。その影響か、町の様子もほんのちょっと違うようです。(だからほんのちょっとか?)学校の皆が最も興奮するスポーツがチェスだったり、フットボールのスターが演劇部のミュージカルに出たり、そのミュージカルが「異性愛者が軍隊への入隊を認められるべきか」というテーマなので物議をかもし出したりします。(SondheimをやろうというRobertaの提案は毎年Sondheimばかりだからという理由で却下。Sondheimを毎年やる高校の演劇部って…。)Zanna自身は、自分は愛のキューピットだから、自分に恋人はいらないと自身に言い聞かせるものの、心の内ではSteveに惹かれているようです。
ここまで読んだ方にはお分かりの通り、このあべこべの世界の中心になるのが、同性愛こそが正常で異性愛が異常と言う設定です。この世界に私を含めた観客は慣れることが出来たのでしょうか?はい、30分かかりませんでした。前半の中心となるミュージカルの場面では、異性愛者が迫害されるという展開を何の違和感もなく受け入れていました。芝居が終わってから考えてみたのですが、これは私自身の適応力ではなく、この作品では、脚本、音楽、演出、セット、それに出演者の演技がみごとに噛み合っていたせいだと思います。それらのすべてが物語の現実感を無理なく消し去り、架空の中の現実として受け入れられるように完成されているのです。脚本、作詞、作曲はTim Acitoによるもの。(“Additional Book and Lyrics”として、Alexander Dinelarisがクレジットされています。)スコアは何でもありの折衷型(カントリー、カリプソ、ゴスペル等)なのですが、基調になっているのはラップの言葉のマシンガンであるように思えました。だから、小気味はいいのですが、歌詞が聞き取れなくてつらいですね。おまけにゲイ・ジョークが盛り込まれている「らしい」ので、それもわからなかった。曲のなじみやすさでは最近のOff B’wayでもトップ・クラスでしょう。セット(Wade LaboissonniereとTobin Ost)は現実感を極力排するための、ネオン・カラーがベースのぶっとんだものです。前回の“Grease”のリバイバルをご覧になった方は、あれを思い出して下さればよろしい。その現実感の薄い世界で役者達は、かなり誇張した型どおりの演技を意図的に行っています。これによってさらに現実感が失われています。これはOff B’wayお得意のB級映画の雰囲気を作り出すやり方だと思います。これは結構難しいのですが、ここでは見事に成功しています。その最大の貢献者は監督のDevanand Jankiでしょう。彼はどの部分で型どおりの演技をさせ、どの部分(例えば愛を告白する場面)でリアルな演技に戻すのかという使い分けがきっちり出来ていて、しかもその継ぎ目が意識しなくてはわからないほどスムースになっています。派手ではないが効果的な振付も彼によるものです。彼は新進の演出家のようですが、今後が期待されますね。若い役者で占められたキャスト(今まであげた以外にAmanda Ryan Paige、Darius Nichols、Robb Sappが出演)はエネルギーに溢れていて好感が持てました。
さて物語に戻りましょう。平和なHeartsvilleは、ミュージカルの中で禁断の異性愛に落ちる役のSteveとKateが、芝居の外でも本当に恋に落ちてしまうことで、一転して大騒ぎになります。シニア・プロム(卒業生の為のダンス・パーティー。映画“Footloose”を見た方はあれを思い出して下さい。)に異性愛者は参加させないと村八分に遭うSteveとKate。思いつめ、Steveは駆け落ちまで考えます。それを見たZannaは愛するSteveの異性愛を遂げさせるために、魔術の本を紐解き、「異性愛者を平和に暮らさせる魔法」というのを発見します。異性愛を遂げさせることでSteveを失うことになるにも関わらず、またその本には「これによって術者は魔力を失うかもしれない」と書いてあるにも関わらず、Zannaはその術を行います。その魔法とは…
その魔法とは、すべての町の人たちを異性愛者に変える魔法だったのです。Heartsvilleはどこにでもある普通の町になり、プロムには自分達が同性愛者だったことなど少しも覚えていない普通の男女のカップルが溢れています。そこに現れた唯一のゲイであるZannaはみんなから白い目でみられてしまいます。
そぉぉぉぉかぁぁぁぁ!!ここまで観て、鈍い私はこのショウの副題“A Musical Fairy Tale”の意味にようやく気が付きました。この作品はゲイにとってのお伽噺だったのですね。周りの人を全部魔法でゲイに変えることが出来たら…。まさにこれは同性愛者にとって夢の物語ですね。そして、作者はこの物語に残酷な、しかし、夢物語に相応しい結末を与えています。みんなが夢から覚めるという結末を。深夜の鐘は鳴り、馬車はカボチャに戻らなくてはなりません。
このまま芝居が終わっても、私のように「夢は必ず覚める」という考えをもった人間には十分納得がいったことでしょう。でも、作者はもっとロマンチックな人のようで、こんなエピローグを用意していました。「夢」から覚めたZannaは靴を片方だけ残し立ち去ろうとします。(何故靴をのこすの?なんて野暮なことは聞いちゃダメ。)そこに現れるのが、今までほとんど目立たない形でずっと物語に絡んでいたTank(Sapp)です。彼はZannaの靴を取り、それを履かせながら、「前の世界の方がよかった」と告げます。そう、魔法の力ではなく本当にゲイであった彼は、魔法の世界のことを覚えていたのです。Zannaは自分の前に現れた白馬の王子をためらいつつも受け入れる中で舞台は溶暗しておしまい。
なるほど、お伽噺にはお伽噺にふさわしい終わり方があるのですね(靴がからんでくるところも含めて)。作者め、なんという味な真似を。
…参った。
お話の舞台となるのは、Heartsvilleという架空の町。そこに住む高校生にして魔法使いのZanna(私の見た回は代役のGregory Treco、レギュラーはJai Rodriguez)の日常はその魔法を使って町中を愛で満たすことにあります。彼のおかげで町の人たちは常に恋人に欠くことはありません。ただほんの少しだけ違うのは、彼が取り持つ恋愛がすべて同性愛であること。(ほんの少しか?)かくして町中は同性愛に満ち満ちています。彼の魔法で、フットボールのスターSteve(Jared Zeus)はチェスのチャンピオンMike(Enrico Rodoriguez)と、癇癪持ちのRoberta(Anika Larsen)はロデオ・チームのエースKate(Shelley Thomas)と結ばれます。その影響か、町の様子もほんのちょっと違うようです。(だからほんのちょっとか?)学校の皆が最も興奮するスポーツがチェスだったり、フットボールのスターが演劇部のミュージカルに出たり、そのミュージカルが「異性愛者が軍隊への入隊を認められるべきか」というテーマなので物議をかもし出したりします。(SondheimをやろうというRobertaの提案は毎年Sondheimばかりだからという理由で却下。Sondheimを毎年やる高校の演劇部って…。)Zanna自身は、自分は愛のキューピットだから、自分に恋人はいらないと自身に言い聞かせるものの、心の内ではSteveに惹かれているようです。
ここまで読んだ方にはお分かりの通り、このあべこべの世界の中心になるのが、同性愛こそが正常で異性愛が異常と言う設定です。この世界に私を含めた観客は慣れることが出来たのでしょうか?はい、30分かかりませんでした。前半の中心となるミュージカルの場面では、異性愛者が迫害されるという展開を何の違和感もなく受け入れていました。芝居が終わってから考えてみたのですが、これは私自身の適応力ではなく、この作品では、脚本、音楽、演出、セット、それに出演者の演技がみごとに噛み合っていたせいだと思います。それらのすべてが物語の現実感を無理なく消し去り、架空の中の現実として受け入れられるように完成されているのです。脚本、作詞、作曲はTim Acitoによるもの。(“Additional Book and Lyrics”として、Alexander Dinelarisがクレジットされています。)スコアは何でもありの折衷型(カントリー、カリプソ、ゴスペル等)なのですが、基調になっているのはラップの言葉のマシンガンであるように思えました。だから、小気味はいいのですが、歌詞が聞き取れなくてつらいですね。おまけにゲイ・ジョークが盛り込まれている「らしい」ので、それもわからなかった。曲のなじみやすさでは最近のOff B’wayでもトップ・クラスでしょう。セット(Wade LaboissonniereとTobin Ost)は現実感を極力排するための、ネオン・カラーがベースのぶっとんだものです。前回の“Grease”のリバイバルをご覧になった方は、あれを思い出して下さればよろしい。その現実感の薄い世界で役者達は、かなり誇張した型どおりの演技を意図的に行っています。これによってさらに現実感が失われています。これはOff B’wayお得意のB級映画の雰囲気を作り出すやり方だと思います。これは結構難しいのですが、ここでは見事に成功しています。その最大の貢献者は監督のDevanand Jankiでしょう。彼はどの部分で型どおりの演技をさせ、どの部分(例えば愛を告白する場面)でリアルな演技に戻すのかという使い分けがきっちり出来ていて、しかもその継ぎ目が意識しなくてはわからないほどスムースになっています。派手ではないが効果的な振付も彼によるものです。彼は新進の演出家のようですが、今後が期待されますね。若い役者で占められたキャスト(今まであげた以外にAmanda Ryan Paige、Darius Nichols、Robb Sappが出演)はエネルギーに溢れていて好感が持てました。
さて物語に戻りましょう。平和なHeartsvilleは、ミュージカルの中で禁断の異性愛に落ちる役のSteveとKateが、芝居の外でも本当に恋に落ちてしまうことで、一転して大騒ぎになります。シニア・プロム(卒業生の為のダンス・パーティー。映画“Footloose”を見た方はあれを思い出して下さい。)に異性愛者は参加させないと村八分に遭うSteveとKate。思いつめ、Steveは駆け落ちまで考えます。それを見たZannaは愛するSteveの異性愛を遂げさせるために、魔術の本を紐解き、「異性愛者を平和に暮らさせる魔法」というのを発見します。異性愛を遂げさせることでSteveを失うことになるにも関わらず、またその本には「これによって術者は魔力を失うかもしれない」と書いてあるにも関わらず、Zannaはその術を行います。その魔法とは…
その魔法とは、すべての町の人たちを異性愛者に変える魔法だったのです。Heartsvilleはどこにでもある普通の町になり、プロムには自分達が同性愛者だったことなど少しも覚えていない普通の男女のカップルが溢れています。そこに現れた唯一のゲイであるZannaはみんなから白い目でみられてしまいます。
そぉぉぉぉかぁぁぁぁ!!ここまで観て、鈍い私はこのショウの副題“A Musical Fairy Tale”の意味にようやく気が付きました。この作品はゲイにとってのお伽噺だったのですね。周りの人を全部魔法でゲイに変えることが出来たら…。まさにこれは同性愛者にとって夢の物語ですね。そして、作者はこの物語に残酷な、しかし、夢物語に相応しい結末を与えています。みんなが夢から覚めるという結末を。深夜の鐘は鳴り、馬車はカボチャに戻らなくてはなりません。
このまま芝居が終わっても、私のように「夢は必ず覚める」という考えをもった人間には十分納得がいったことでしょう。でも、作者はもっとロマンチックな人のようで、こんなエピローグを用意していました。「夢」から覚めたZannaは靴を片方だけ残し立ち去ろうとします。(何故靴をのこすの?なんて野暮なことは聞いちゃダメ。)そこに現れるのが、今までほとんど目立たない形でずっと物語に絡んでいたTank(Sapp)です。彼はZannaの靴を取り、それを履かせながら、「前の世界の方がよかった」と告げます。そう、魔法の力ではなく本当にゲイであった彼は、魔法の世界のことを覚えていたのです。Zannaは自分の前に現れた白馬の王子をためらいつつも受け入れる中で舞台は溶暗しておしまい。
なるほど、お伽噺にはお伽噺にふさわしい終わり方があるのですね(靴がからんでくるところも含めて)。作者め、なんという味な真似を。
…参った。
by sabrekitten
| 2003-06-01 00:00
| (Fake) Reviews